石田湯 / 椋本湧也
銭湯からの帰り道というのは、なぜあんなにも甘美なのだろう。ほてった身体を冷ます心地良い風。さっぱりさらさらの肌に、ほのかなシャンプーの香り。我慢できずにコンビニでアイスを買って、家までの短い道のりをゆらゆらと歩く。なんだか世界がひときわかがやいて見える。銭湯の帰り道には、きっと魔法がかけられている。
29歳のとき、ひょんなきっかけで東京から京都へ移住した。とつぜんの移住だったため部屋を探す間もなく、ひとまず借りた事務所にマットレスを運び込んで寝起きすることになった。東京の暮らしと比べてなんら遜色なかったが、ひとつだけ違うのは風呂がないことだった。そのため近所の銭湯に通うことになった。それが石田湯だった。
提灯に照らされたのれんをくぐる。番台に座るおばあちゃんとはすっかり顔馴染みで、私の顔を見るとにっこり笑って「お兄ちゃん、いらっしゃい」と他愛もない会話が始まる。そして「おやすみなさい」と言って帰路につく。そんな毎日が新鮮だった。
銭湯に通い始めて丸一年が経った頃、私は鴨川沿いに居住用の部屋を借りた。それからすぐに奈良の吉野で果樹園をはじめたこともあり、石田湯に通うことはほとんどなくなってしまった。けれども、あるとき数ヶ月ぶりに石田湯を訪れると、番台のおばあちゃんが私の顔を見るやいなや「あら、お兄ちゃん、おかえり」と言ってくれた。「ずっと待ってたのよ」と。そのとき、私はこの街がいつでも帰って来られる場所になったのだと感じた。
嬉しいことがあった日も、悔しいことがあった日も、一日の終わりに必ず銭湯の湯船につかっていた私にとって、京都の記憶はまず石田湯に結びついている。だから、この先もしも京都から遠く離れた街で暮らすことになったとしても、ふと石田湯を思い浮かべれば、私はいつでも京都に住み始めた頃の、あのういういしい日々を思い出すことができるだろう。そして、心の中で番台のおばあちゃんの声がこう語りかけるだろう。「新しい旅に疲れたら、いつでもお風呂に入りにおいで」。人は帰る場所があるからこそ、遠くまではばたいてゆける。
石田湯
・住所
・アクセス
・営業時間
・住所
京都府京都市南区東九条南石田町35
・アクセス
市営地下鉄「十条」駅から徒歩1分
・営業時間
15:00-23:00(日曜日定休)
京都府京都市南区東九条南石田町35
市営地下鉄「十条」駅から徒歩1分
15:00-23:00(日曜日定休)
椋本 湧也 / Mukumoto Yuya
1994年東京生まれ、京都と奈良在住。京都でいい風という出版社を営むかたわら、奈良の吉野山で柿と山椒を育てています。鴨川でビールを飲むのが好きです。
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📍〒601-8041
京都府京都市南区東九条南烏丸町36-19